2017年08月01日

フランスの女優、ジャンヌ・モロー89歳で死去。老衰?

映画「死刑台のエレベーター」「突然炎のごとく」などで知られるフランスの女優、ジャンヌ・モローさんが、パリの自宅で死去した。

 1928年、飲食業の父と英国人ダンサーの母の間に生まれた。国立高等演劇学校で演技を学び、1948年にデビュー。ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」(58年)や「恋人たち」(同年)、フランソワ・トリュフォー監督「突然炎のごとく」(62年)などに出演して新しい女性像を提示し、“ヌーベルバーグ”(新しい波)の時代を彩った。

 1960年に「雨のしのび逢(あ)い」で、カンヌ国際映画祭女優賞を受賞したほか、内外で多くの映画賞を受賞。晩年までリュック・ベッソン監督の「ニキータ」(90年)などの作品に出演。また、映画祭の審査員としても活躍した。2013年には日本で「クロワッサンで朝食を」が公開された。



◆フランスの大女優、ジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau)さんが死去した。89歳だった。代理人が31日、発表した。
 当局関係者によると同日朝、パリ(Paris)の自宅で、亡くなった状態で発見された。
 モローさんは1928年パリ生まれ。父親はフランス人のレストラン経営者、母親は英国出身のコーラスガールだった。父親の希望に逆らい、フランス国立高等演劇学校へ18歳で入学。その2年後、国立劇団コメディ・フランセーズ(Comedie Francaise)に加わった。

 故フランソワ・トリュフォー(Francois Truffaut)監督の『突然炎のごとく(Jules et Jim)』や、ルイ・マル(Louis Malle)監督の『死刑台のエレベーター(Lift to the Scaffold)』、ジョセフ・ロージー(Joseph Losey)監督の『エヴァの匂い(Eva)』など、批評家の絶賛を浴びた20世紀映画に数多く出演。1960年代の自由を体現する女優として輝き、ハスキーな声とはっとする美しさで観客たちをとりこにした。
 1992年には『海を渡るジャンヌ(The Old Lady Who Walked in the Sea)』で、フランスのアカデミー賞(Academy Awards)に当たるセザール(Cesar)賞で最優秀女優賞を受賞。80代になっても現役を貫いていた。

 米国のオーソン・ウェルズ(Orson Welles)監督に「世界最高の女優」と言わしめたモローさんはまた、フェミニストの象徴でもあった。映画界が女性の問題について徐々に意識し始めた時期に、解放された女性の草分け的存在となった。たばこをひっきりなしに吸っていたことを思い出させるしゃがれ声で「肉体的に美しいということは不名誉なことだ」と発言したこともある。

 エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)仏大統領は追悼の意を表し、モローさんは「映画を体現した」と述べ、「既成秩序に常に反抗する」自由な精神の持ち主だったと語った。

 ウェルズ監督の『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ(Chimes at Midnight)』、ミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonioni)監督の『夜(La Notte)』、ルイス・ブニュエル(Luis Bunuel)監督の『小間使の日記(Diary of a Chambermaid)』など、偉大な監督たちの作品に次々と出演することになったのも、その生き生きとした反抗精神ゆえだった。

 また、ジャン・ジュネ(Jean Genet)やマルグリット・デュラス(Marguerite Duras)といった作家の小説が原作の挑戦的な映画にも好んで出演した。

 優雅に年齢を重ねると、ロージー監督の『パリの灯は遠く(Mr. Klein)』やエリア・カザン(Elia Kazan)監督の『ラスト・タイクーン(The Last Tycoon)』などで準主役級の役を務めた他、米映画監督のウィリアム・フリードキン(William Friedkin)氏との短い再婚を経て『ジャンヌ・モローの思春期(L'Adolescente)』など自らメガホンも取った。

 世界各地の映画賞を受賞した他、フランスの映画製作者に助成金を付与する国の委員会のトップや、1995年のカンヌ国際映画祭(Cannes Film Festival)の審査員を務めるなど、映画界全体にも貢献した。

 60年を超えるキャリアで出演作は130作品以上。生涯で2回結婚し、脚本家で俳優だった最初の夫、故ジャンルイ・リシャール(Jean-Louis Richard)氏との間に息子のジェロームさんがいる。

★ジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau, 1928年1月23日 - 2017年7月31日)は、フランスの女優・歌手。
経歴
パリ生まれ。父はフランス人のレストラン経営者、母はイギリス人(イングランド・ランカシャー州出身)のキャバレー・ダンサーで、母の影響を受けて育つ。
パリのフランス国立高等演劇学校 (コンセルヴァトワール)で演技を学び、1947年に演劇デビュー。劇団コメディ・フランセーズで頭角を現す。映画にも出演し始め、ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』やフランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』など、ヌーヴェルヴァーグの監督達の作品で国際的な名声を得る。

ミケランジェロ・アントニオーニ『夜』、ジョゼフ・ロージー『エヴァの匂い』、オーソン・ウェルズ『審判』、ルイス・ブニュエル『小間使いの日記』など、著名な映画監督と組み、ウェルズはモローを「世界で最も偉大な女優」と評した。

マルグリット・デュラス原作の『雨のしのび逢い』でカンヌ国際映画祭主演女優賞を授賞。同じくデュラス原作の『マドモアゼル』では主演を、『愛人/ラマン』ではナレーションを務めている。『デュラス 愛の最終章』では生前親交があったデュラス本人を演じた。

映画界への多大な貢献を評価され、1992年にはヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞を、1997年にはヨーロッパ映画賞で生涯貢献賞を、2000年にはベルリン国際映画祭で金熊名誉賞を、2003年にはカンヌ国際映画祭でパルム・ドール名誉賞を、1995年と2008年にはセザール賞で名誉賞を授与された。

1949年に俳優のジャン=ルイ・リシャールと結婚し、一男ジェロームをもうけるも後に離婚。
1977年に映画監督のウィリアム・フリードキンと再婚したが、1979年に離婚している。
2017年7月31日午前、パリ8区の自宅アパートメント内で倒れた状態で亡くなっているのを家政婦が発見した。その後、代理人とパリ8区長によって死去が発表された。調査結果によれば老衰。89歳没。同日、エマニュエル・マクロン大統領は声明を出し、「映画を体現した」モローに敬意を表した

出生地 パリ
国籍  フランス
配偶者
ジャン=ルイ・リシャール(1949 - 1951)
Teodoro Rubanis(1966)
ウィリアム・フリードキン(1977 - 1979)

 
受賞
カンヌ国際映画祭

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女優賞
1960年『雨のしのび逢い』
パルム・ドール名誉賞
2003年 長年の功績に対して
ベルリン国際映画祭
金熊名誉賞
2000年 長年の功績に対して
ヨーロッパ映画賞
生涯貢献賞
1997年 長年の功績に対して
英国アカデミー賞
女優賞
1965年『ビバ!マリア』
セザール賞
女優賞
1992年『La Vieille qui marchait dans la mer』
posted by 松本 美人 at 15:39| Comment(0) | 死去・忌日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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